2011年1月16日日曜日

Crash Dragon!=Episode2


EP2・善人→悪人




「某は反対です。月見うどんを注文するリスクは非常に高いです。何故ならば、服にこぼしてしまった場合卵の黄身を落とすのが非常に大変だと思われます。なので某はこちらのヒレカツ定食を……いや、ソースの油は非常に落ちづらいです。前言撤回して、こちらの方が」
「お前はマイナス思考過ぎだ! こぼさないように気を付ければいいだけの話だろ!?」
「運が悪かったらばどうなさるのです。幾ら人間様であろうと、運命までは変えられないでしょう」
「そんなことはない、諦めるな運命は変えられる! まずは運気をよくしろ! その為にはまずお前のマイナス思考を全面撤去するべきだ、いいかこれは命令だ絶対に従え、分かったか!」
「ご期待に添えるにはおそらく残り百三十年と五十三日必要かと」
「死ねってか!」
男女共同食堂にて、俺とガクは朝食を注文しようとしているのだが。
昨日に引き続き、ガクのマイナス思考節が炸裂中である。券売機の前であーだこーだ言っていたのだが、迷惑だったのでそそくさと列から外れ紙面メニューで注文決定をしようと試みてから弱一時間。このままでは朝食抜きだ。
何だか食堂内の席から、「わーっ、早速仲良しコンビ誕生だあ」「誰、だれえ?」「あれ? 右にいるのって天河君じゃん」「えっ! 天河って、あのクラッシュブレード使いの?」「初めて見たー」「彼、食堂来るの初めてじゃない?」「いつもサボってたからねー」「へえ、彼が天河君のパートナーなんだ」「何か根暗っぽいね」「でも、結構可愛いよ」「そーかなー」とかいう女子の声が聞こえてくるんだが。
これだから人混みは嫌なんだ。
俺はのんびりと屋上でパンを食べたかったのに、ガクに無表情の顔を超至近距離まで突き付けられた挙句に猛反対されたのだ。何が、屋上から落ちたら大変なので止めて下さい、だよ。落ちねえよ普通。
何とか女子とは半径5mの距離を保っているが、混雑時にはそうはいかなくなるだろう。俺が女嫌いってことを説明しておかなければいけないな、コレは。
だが、そんなことよりもまずは朝食だ。
「ほら、もう時間ないし朝食セットにしようぜ」
「しかしながら……」
「うるさいうるさいっ、はい注文注文。さっさと並ぶ並ぶ!」
大切なことなので二回ずつきっちりハッキリと述べてやる。ガクは何かを小言で呟いていたが、しぶしぶ了解して券売機へ向かった。
俺は和洋・ファーストフードなどジャンルに富んだ食事のボタンから<朝食セット>を選択し、続けて二枚購入のボタンを押す。
購入と言っても、食堂はここの学生なら無料で利用できる。資金源はガクの言っていた通り上級生達の報酬金だろう。
近所のパン屋で昼食を買っていた俺は随分と無駄遣いをしていたのかもしれないが、あの落ち着いた雰囲気の中食べる焼きそばパンの味は格別だ。別に後悔はしていない。
発行された券をカウンターに出す。見慣れない顔のお姉さんはこちらに向かって営業スマイルで微笑むと、あっという間に食事を二人前カウンターに置いた。
――半径2m以下に近づいてしまった……。何とかなったが、やっぱり食堂は嫌だ。
置かれた食事を受け取って歩き出すと、パートナーは横からひょっこりと顔を出す。
「龍助殿、顔が引きつっておられます。どうかなされましたか」
げっ。てことは、この引きつってる顔をさっきの女の人に見られたのか。ああ、余計に食堂へ行きづらくなった。
俺は無理矢理笑って、ごまかすように言う。
「え? あー、色々とな」
「色々、ですか」
訝しげに眉をひそめるガクに、もういっそ俺の性質を説明してしまおうかと思う。その方が楽だろうし。
それにしても、さっきからガクの問うような視線が突き刺さる。コイツ、やるな……。
「分かった、ちゃんと話すから……とりあえず席座ろうぜ」
俺は周囲を見渡し、男ばかりが密集している部分へ向かい、空席にさっさと座る。これで女子は近付けまい。
俺はいただきます、と軽く呟いてから朝食セットの目玉焼きに箸を伸ばす。おお、半熟か。分かってるな。しかし、隣をちらりと見れば不満そうな雰囲気を漂わせるガクの姿があった。無表情だから余計に怖いぞ。そういえば黄身は服に付くと落ちづらいとか言ってたなあ。要するにコイツは半熟派じゃないのか……理解。
バターをたっぷり塗りつけた焼き立てトーストを頬張りながら、周りの奴らを少し観察する。
――楽しそうに談笑している奴らはどこにもいない。話していても目を合わせていないし、その内容だってテストがどうとか戦闘方法がああだこうだとかつまらないことばかりだ。
皆、どこかギクシャクしている。まるでその間には見えない壁があるみたいに。最後の一欠片を口に放り込み、息を吐いた。
「人間と、データを阻んでいた画面の壁は健在ってことか……」
自分にしか聞こえないくらいの小さな声で囁いて、俺はみずみずしく新鮮そうなレタスにフォークを突き刺した。
「ふぁの、ひょろひいふぇすか?」
「ぶっ!」
間の抜けた声に盛大に吹いてしまう。この所為で、シリアスな思考は綺麗に空の彼方へ吹っ飛んでしまった。
隣には口に野菜を一杯詰め込んだガクが『?』を頭上に浮かべるかの如く首を傾げていた。その光景が妙に可愛らしいので余計に笑えてしまう。コイツ、本当に男なんだろうか……女だったら結構ストライクゾーンなんだけどなあ。
――ストライクも何も、俺には近づくことすら出来ないけど。
彼はそんな俺を差し置いてゴクリと食べ物を飲み込むと、いつもの敬語で淡々と喋り出す。
「あのぅ、龍助殿。深刻そうなお顔をされておられますが」
もしかしたら、コイツは他人の感情を読むのが上手いのかもしれない。それとも、俺が剥き出しの感情を顔に出してしまっているだけなのか。
「そうか?」
「はい。……あの、あと先程申されていた『色々』をお聞かせ願えると」
そうだった。ここで説明しないと色々面倒なことになりそうだし。俺は軽く咳払いをして、ガクに向き直る。
「とりあえず、さっき顔が引きつってた理由から。俺、女性が苦手なんだ」
これは<クラッシュドラゴン>の二つ名と同じくまかり通っている事実だ。
「半径5m以内に近づかれなければ問題ないけど、それ以上距離を縮められると何かイライラしたり気分が悪くなったりするんだ。顔が引きつるってのもよくある症状の一つ。ある意味一種のアレルギーみたいなもんだよ」
距離はもちろんのこと、喋るのだってままならない。そのうち気が狂ってしまいそうな、不安定な気分になってしまうのだ、と付け加える。
ガクは無表情のまま黙って俺の話を聞いていたが、突然立ち上がると走り出して俺から離れてしまう。
「!? ……お、オイ、ガク?」
彼の方へ行こうと思ったが、不運にもガクは女子グループ付近につっ立っている。うお、絶対に行けない。
もしや、ガクは俺の性質を確かめようとしているのか?
「……」
ガクは、俺が焦る様子を確認するかのようにしてこちらを凝視していたが、何やら頷くとタブレットPCにメモをし出す。ほんの数秒だけそうして、再びPCを腰にしまい直すとこちらに戻ってきた。
今のは一体何だ?
ガクは何事もなかったように俺の隣に座ると、澄んだ声を発する。
「真偽はともかく、その……女性アレルギーなるものの原因は何なのですか」
絶対に聞かれる質問だ。これは勿論予想していたのだが……。
「実は、俺にもよく分からないんだ」
「分からない?」
「ああ。明確な理由があった気がするんだけど……何故かその記憶が見事に抜け落ちてるんだよなあ。多分、昔女子にいじられてたとか、そんなくだらないような理由だと思うけど」
そう。俺は、女が嫌いな理由が自分でもサッパリ分からない。というよりも覚えていない。何かしらの理由があったという記憶はあっても、内容の記憶がない。フォルダはあってもデータがなくては、意味がないのと同じように。
「……それは、どんな女性に対しても働く症状なのですか」
今まで聞いたことがないようなガクの声に俺は驚く。冷たい印象があった声色は、何だかもやもやした表現し難い表情を含んだものに変わっていた。
「お、おう、多分な」
「そうですか」
もう、ガクの声は元に戻っていた。
さっきのは一体何だったんだろうと思いつつ、残っていたスープを啜る。
「おーい、<クラッシュドラゴン>~!」
「ぶふっ!」
口に含んでいたスープを吹き出しそうになって慌てて口元を抑える。が、逆流して喉に詰まる。げほげほと咳込んでいると、けらけらと笑う人影が、俺の目の前に立ちふさがった。
「やっぱりお前か……! 茶髪眼鏡の元委員長!」
「あら、今も私はあなたの委員長に変わりはないわよ」
「変わっとるわ! 貴様と俺とではクラスが違う!」
楽しそうに笑う女。コイツは空気が読めんのか。ここで笑うってどうかしてるだろう。というかさっさと立ち去れ! 帰れ! 箒を逆さに立ててやる!
「相変わらず騒々しいわねえ」
すると、女の後ろから女がもう一人……水色の長髪をなびかせて走ってくる。オイオイ勘弁してくれ、これ以上増えたら俺はもうこの場で吐くぞ。堂々と吐くぞ。
「初めまして<破壊龍>さん。私は彼女のパートナーAI、あやめでございますわ」
何とか半径5mは離れている。頼むからこれ以上近づくなよ。にしても、またこの女に不釣り合いなのが来たものだ。女はうるさいがAIは落ち着いてるし。
それにしてもコイツら……随分と仲が良さそうだな。
AI女、えっと……あやめはふと俺の隣に目を向ける。AI同士何か話をするのかと思いきやガクは軽く会釈しただけで、それ以上の行動は示さなかった。ガクのマイナスオーラが増している……何だか、AI女を拒絶しているようにも見えるんだが。
「えっと……あなたのパートナーですか?」
「ガク、って名前だ。――何だよその顔、文句あんのか」
あやめがきょとんとした顔でこちらを見るのでついそんなことをいうと、彼女は苦笑いで手を振った。それにしても、このAIは結構表情豊かなんだなあ。いや、ガクが薄いだけか。
「ガクさんですか……じゃあきっと他人の空似ですね」
「は?」
そんなことを言うもんだからつい頓狂な声を上げてしまう。するとあやめはクスっと笑い、軽い調子で説明を始める。
「いや、製造番号14っていうAIがいましてね。彼の能力がホント酷くって。確か<データセイバー>とかいうのだったんですけど……味方相手問わずに空間上のデータを圧縮して弱体化させちゃうんです。その子、そんな役立たずな能力の所為で落ちこぼれになっちゃって。元々は結構良い子だったんですけどねー。今じゃ暗いしマイナス思考だしで、多分もう退学してるんじゃないですか?」
製造番号14……?
脳裏によみがえる、昨日ガクが発した自己紹介の内容。
『製造No14。人工知能育成特殊施設出身…………宜しくお願いします』
はっとして隣を見れば、依然として無表情のガクが座っている。だがよく見れば、唇をきつく噛み締め何かに耐えているようだった。
所持能力は、俺達人間で言う武器みたいなものだ。確か能力もランダムに決定されると聞いたことがある。つまり、AIのスペックは運で決定されるのだ。
――コイツも、俺と同じように……。
もう一度、彼女の方を向く。
あやめは笑っていた。本当に、とても楽しそうに嘲笑っていた。
その瞳は――ガクをしっかりと捉えていた。
自分より劣っているとか不幸だとかそんな理由で、同じAIを馬鹿にしたのだ。
そうだ。コイツは、ガク=製造番号14ということを分かっていて今の言葉を言ったんだ。
「…………帰れ」
それに気付いた瞬間、俺は立ち上がっていた。
こんな奴とこれ以上一緒にいるなんて反吐が出る。そんなのゴメンだ。だから女は嫌いなんだ。
きっぱりと言い切る俺に、少なからずあやめも驚いたようだった。
「え?」
「さっさと帰れよ。これ以上アンタらと話すつもりはない。その意味もない。元委員長からどうせ聞いてるんだろ? 俺はどうしようもないくらいに女が嫌いだってことを」「ちょ、ちょっと何よ。初対面でその言い方はないでしょう!?」
「うるさい、初対面だろうと何だろうと女は苦手なんだよ。特に、お前みたいな腹の底が真っ黒な女はな!」
「なん……ですって? その言葉、撤回しなさいっ!」
「事実だろうが!」
「何よ自爆ドラゴン!」
「ああ!? 誰が自爆ドラゴンだって!?」
口の言い争いはどんどんヒートアップしていき、そろそろ俺の怒りが頂点に達しようとした瞬間、
「はいスト――――――――――ップ!」
女の声が食堂に響き渡った。
視線が俺達に集中する。げ、何てことしてくれるんだ。女も男も俺達を凝視してやがるぞ。
「お二人さん熱くなりすぎよ。周りの人に迷惑がかかるからここまでにしておいて。それと……あやめ、アンタが腹黒いのは事実よ」
「えっ、な、何よっ……<クラッシュドラゴン>の味方をするのですか!?」
「別にそう言うワケじゃないわよ。私は事実を言ってるだけ」
驚いた。まさかこの女がまともなことを言うとは。な、何か悔しい。
「~~~っ! もういいわ、この屈辱はいつかの戦闘テストで返してやります! その時まで、覚えてなさい! 我がA組に平伏しなさい!」
あやめは顔を真っ赤にして叫ぶと、すたすたと歩いていってしまった。
「ちょ、ちょっと待ちなさいって! あ~や~め~っ!」
彼女を追うように、元委員長も退場。
オイオイ、これじゃあ俺が女相手に喧嘩を吹っ掛けられその挙句女に助けてもらったみたいじゃないか。よっぽど俺の方が屈辱を味わったぞ。
だが、いつかの戦闘テストで決着となると、俺に勝ち目はない。自爆しない為には武器を発動しなければいいのだが、それで勝利するなんて不可能だ。でもあんなのに負けるだなんて絶対にごめんだ。……どうすれば。
……考えるのが億劫になってきた。もう面倒なので、そうなった時考えればいいや。どうにかなるさ。
俺は空っぽの食器が置かれたお盆を持って立ち上がる。が、とっくに食べ終わっているはずのガクは続いて立とうとしない。
帽子の隙間から覗く暗い瞳は、しっかり俺を捉えていた。
「……ガク?」
無言の圧力とはこれのことか。
俺は耐えられなくなって、つい目を逸らす。
「……早くしないと予鈴鳴っちまうぜ。さっさと行くぞ」
返却口に向くと、切羽詰まったような声が背中に掛けられる。
「先程の話、どう思われますか」
その声は必死だった。冷たい雰囲気ではなく、また違う感情が含まれていた。例えるならば――捨て猫の鳴き声。
「先程の――あやめとやらが言っていたことについて、龍助殿はどう思われているのでしょうか」
「どう、って……」
ガクの無表情に、チラリと見える何か。それは紛れもなく負の感情――深い悲しみと儚い寂しさだった。
俺は昔から、悲しいのも寂しいのも暗いのも怖いのも……負的なものは全部嫌いだった。だからどんなこともきっとどうにかなるって、それなりに前向きに生きているつもりだ。そうしないと負に呑まれてしまいそうで。
今、俺はどんな表情をしているのだろう。多分、酷い顔をしているに違いない。俺は今負の感情に呑まれそうになっているんだ。
ガクは、俺に何を言って欲しいんだ。彼は何を期待している?
――AIのある特定施設では、時々人間を呼んで疑似パートナーを組んだりする、と耳にしたことがある。能力育成の為、戦闘テストもしたりするらしい。
もしも、ガクがその特定の施設にいて、戦闘テストを受けていたら。
彼に対して……パートナーは、どんな顔をしたのだろう。
敵味方両方の能力を低下させる、きっと前代未聞の能力。何の意味があるのかも分からないその未曾有の力に、きっとそこにいた人々は戸惑ったはずだ。
戸惑って、どうした。
――使い方が分からない物なんて、必要ないんじゃないか。
ふとそんなことを思って、自分への嫌悪感が募る。
だがその通りだ。人間は不要なものなど躊躇せずにさっさと捨ててしまう。もしそれにどんな価値があったとしても、その価値が理解できなければ意味のないものだから。
ガクも、そういう風に扱われていたとしたら――?
希薄、いや皆無といっていいほどの表情と、極めて堅苦しい敬語。そして異常なまでのマイナス思考。
かつては普通の子だったらしい――あのAI、あやめが言うには。
だが、今はどうだ? ガクを普通と呼べるのか?
……分からない。
俺は今まで、ガクのことを『普通』と思ったことはあるのだろうか。
……自信がない。
どこか、心のどこかで、何か不思議な奴だなとかおかしな奴だなとか思っているに違いない。
例え、それが相手に伝わらないことだとしても……。
「龍助殿」
陰鬱な思考から我に返ると、隣にはお盆を戻し終わったガクの姿があった。
「先程の質問はお忘れ下さい」
ガクは冷め切った声で、俺の手にあったお盆を回収しカウンターへと向く。
「怖い顔をしていらしたので、某が申したことはおそらく悪い選択だったのでしょう。多大なるご迷惑をお掛けしたこと、謝罪させて頂きます」
それだけ早口で言って、すたすたと歩き出してしまう。
その背中が俺にはどう見えたか、自分でも覚えていない。俺は反射的に行動を起こしてしまっていた。
「ガク!」
多分、食堂全域に響き渡るほどの大音量で叫んでしまったと思う。けれど羞恥は不思議と湧かなかった。
「俺は……武器とか能力とか、そんなどうでもいいことを頼りにしてお前のパートナーになったワケじゃないからな」
ガクがぴたりと動きを止める。
「AIの能力なんて知るかよ。――俺は、AIとしてのお前を見てるつもりはないぜ」
俺は走ってガクの持っていたお盆を引き取ると、ごちそうさまと言い残し返却口へ滑り込ませる。そして、周りの目から逃げた方が良いと判断。ガクの腕を掴んで一気に食堂を駆け抜けた。
「だから、お前はとにかく自分なりに頑張れば……それでいいんだよ」
食堂を出て長い廊下をひたすら駆けていたが、突然ガクに腕を振り払われる。
「お言葉ですが、そんな、頑張ればそれでいいなんて……根拠もないのに」
目を泳がせながら、ガクは微々たる声で呟く。
確かに根拠も何もない。そんな簡単な理屈なんて、きっとこの世の中には存在しないだろう。
でも、理屈だ理論だなんて……いちいち言ってられるかよ。
「……全てのことに理由を付けるのって、面倒だろ?」
「――え?」
「何とかなるって。どんなことでも前向きに、自分なりに頑張ればそれでいいんだ」
俺は今までずっとそうやって生きてきたんだと、最後に付け加えた。
でも、俺は褒められるような生き方はしていない。現に学園きっての落ちこぼれだし、能力だってロクなもんじゃない。運だって悪いし、性格だってどこにでもいるような馬鹿男子だ。
けれど、そんな奴だってちゃんと生きていられるんだ。
「……」
ガクは長い時間……といっても数十秒程度に過ぎないが、何かを考えていた。
そして、突然帽子を取って――頭を下げた。
「某は、龍助殿と出会えたことを誇りに生きようと思います」
待て。何だその妙に恥ずかしい変な台詞は。
再び頭を上げた時、ガクの表情はどこか清々しく見えた。
実際はいつもと同じ無表情なはずなのだけれど、俺にはそう映った。
「何とかなりますよね、きっと」
「……ああ。どんなことだって、いつか必ずそうなるさ」
ガクは満足そうにしっかりと頷いて、俺の隣に躍り出る。
「それでは、今日も一日頑張りましょーう」
ガクは、唐突に両腕を上げて吹っ切れたようにそんなことを叫び出す。
その姿は妙に微笑ましいが、変わらず無表情な為ずごくシュールな光景になっている。何だか笑えてきたぞ。
「……すみませんもうしません」
「いや…………いいよ……うん、すごくいい」
俺の方を恨めしげに睨みながらうな垂れるガクに、腹を抱えて笑いながら何とか返事をする。ネットチャットっぽく表すならば俺の発言は『いやwwwいいよwwうん、すごくいいwww』だろう。草の生やし過ぎである。
「ならば何故笑うんですか」
「ごめん、ごめんって。分かったよ笑わんからもう一度やって」
「やりません」
「何だとっ……いや、これは<命令>だ。必須行動だぞ」
「意義あり」
「はい取り下げ~!」
「う……うー、卑怯でございますぞ」
あれ、何かコイツ……キャラ滅茶苦茶になってないか。あ、もしかしてこれが『自分なりに頑張った』結果なのかもしれない。なら、拒否する理由なんてないじゃないか。
俺は笑って、さっきガクがやったことと同じことをした。
「それでは、今日も一日頑張りましょーう」
「……からかってますね」
「まあそう言わずに、もう一回やってくれよ」
「丁重にお断りします」
お、何だか段々面白くなってきた。コイツとパートナー組んで大丈夫かなあって思っていたちょっと前の自分が嘘のようだ。
俺はガクが持ったままの帽子をひょいと奪い取ると、彼の頭にぽんと乗せてやる。その上から軽く手を乗せて、自分にしか聞こえないように呟いた。
「お前と上手くやっていけそうな気がするよ」
「???」
ガクは俺の行動に戸惑っているのか、しばらく両手を胸の前で組んでいたが、何かに気付いたようにして慌てたように俺の手を頭からどけた。
……もしかして、俺何か変なことしたか?
ガクに問おうとした瞬間、学園にアナウンスを知らせるチャイムがこだまする。
『一年生の生徒へご連絡をいたします』
続けて女性のアナウンス。ざわわわと鳥肌が立ってしまうが、何とか我慢する。少しの辛抱だ。
『十分後に戦闘テストをルーム1~3にて開始致します。所定の場所へおつきになってお待ち下さい。ルーム1、B組対C組……』
心配そうな声色が、俺の元へ届く。
「…………龍助殿」
「大丈夫だ。俺達はただ自分なりに頑張れば良いんだよ。クラスに迷惑かけるかもしれないけど……まあ、皆俺なんかには期待してないだろうし」
戦闘テスト=自爆オチ。俺、<クラッシュドラゴン>の公式だ。
「期待?」
「あれ、お前も知ってるだろ。俺の武器が――」
俺の声は、アナウンスに掻き消された。
『――ルーム3、A組対D組』
「いっ!?」
な、何だって!?
「龍助殿?」
「A組って……あの元委員長のクラスじゃねえかよ!」
「あ、そういえば……」
あやめが思いっきり叫んでいたあの言葉が早速実現されてしまうとは……。
A組は女子クラスで、しかも成績優秀な奴らばかりが揃う特別クラスなのだ。そんなところと俺達のクラスが勝負するだなんて、一体どういう決定だよ。勝ち目なんてないじゃないか!
……まあ、さっきも言った通り勝つとか負けるとかそんなことよりも、
「……頑張れば、それでいいよな」









「これは……」
「ひどいですね……」
集合場所・ルーム3の待機場はあまりにも混沌としていた。少し広めの部屋に両方のクラスが自由に待機をしているワケだが、雰囲気が違いすぎる。
まずAクラス。女子同士わいわいと騒いでいて鬱陶しいことこの上ない。女子好きの奴らにとっちゃあ目の保養かもしれないけれど。
そしてDクラスの男子達の惨状は、たったこれだけの言葉で示せる。
どよーん。
以上。
「完全に諦めてやがるな……まあ落ちこぼれクラスだし、当然か」
「そういうことをサラリと言わないで下さい」
軽く話しているのは多分俺達だけである。他は戦いの作戦を暗いムードで話し合っているワケで、何というか見苦しい。
「まるで、負け戦に行く侍ですね」
「侍?」
聞いたことのない言葉に首を傾げると、ガクはきょとんとする。が、直後に納得したかのようにして説明口調で話しだした。
「十世紀~十九世紀にかけて存在した役割のことです。主に一家の大黒柱として戦争に行った男子達のことを言うんです。そうでした、今では一般教養のカリキュラムに日本史は導入されてなかったですね」
現在俺達が習う教育カリキュラムは、過去にあったものをほぼ全て改変したものだ。不要と思われる教科は削ぎ落とされ、余った時間は戦闘訓練などにあてられている。『日本史』なる教科は、過去のことを学んでも意味がないという理由で排除された。
これが実施されたのは、人間社会では十五年前、AI社会では何故かほんの一年前である。
「へえ、そんなのがあるんだ」
「その頃は男性こそが一家を守るというのが鉄則であったのですが、今は男女共同参画社会のお陰でそんなものはなくなってしまいましたが……ちなみに、某という一人称も侍が使っていたと伝えられています」
「あ、やっぱりそれ一人称だったのね」
なるほど納得。にしても『ソレガシ』なんて変わった一人称だよなあ。
この時の俺には、得意げに話すガクがとても輝いて見えた。――きっと、日本史が大好きだったんだろうなあ。
「まるで皆腹切りしてしまいそうな雰囲気でございます」
……コイツ、今軽く物騒なこと言ったぞ。腹切りって何だ? うんまあ言葉どおりの意味だろうなあ。日本史ってそんなエグいこと習うのか……? うわぁ嫌過ぎる。
「まあ某達も……同じような……ものですが……」
「おいやめろ。そんなお先真っ暗マイナスモードになるな! ……いやでも確かにそうなんだけどさ……きっと今日も自爆で終わりだろうなあ」
「自爆?」
「だから、俺の容量オーバーで終わりだって……」
『ハイ、皆さまお揃いですねー! それでは早速戦闘テストを開始致します!』
女性の楽しげなアナウンスに俺の言葉が再び掻き消される。途端、騒がしかった周囲は静かになった。多分対戦相手の発表だろう。
戦闘テストは全十九試合。勝利したクラスには与えたダメージ量がポイントとなって加算され、敗北したクラスには与えられたダメージ量が同様に差し引かれるという、俗に言う『鬼畜設定』だ。俺が自爆した場合、その時点で勝負が決まるくらいのポイントが差し引かれてしまう。理由は不明である。
ちなみに、敗北したクラスには厳罰が下される。例えば学園を一日かけて大掃除するとか、宿題増量サービスとか、寝ないでランニングとか。
俺がやった中で一番嫌だったのは……思い出すだけで辛いのでやめておく。
コイツ、同性を応援してるからこんな明るくいられるんだ。本当にイラつく。
『では、第一回戦――彩本愛ちゃんチームVS天河龍助君チーム!』
「って何だその組み合わせはあああ!?」
勢いよく立ち上がり、スピーカーに向かって喚きたてる。陰謀だ。これどう考えても陰謀だろ。あ、あやめの奴絶対何か仕組んだな。これだから女は嫌なんだよ!
「ふっ、早速私の夢を叶えられそうで何よりです。それではフィールドでお逢い致しましょう」
「そういうことなんで、今日も自爆オチで宜しく!」
「き、貴様ら……」
スキップしながら立ち去る敵。うああムカツク!
何か後ろから凄い視線を感じる。振り向けば同じクラスの奴らが死んだ目を向けてくる……オイオイ、皆して『何故サボらなかったし』みたいな目で見るな。
「龍助殿、いざ出陣でございます」
それに臆すことなくぱっと立ち上がるガク。あれ、さっきまでのマイナスな雰囲気が綺麗に消えてしまっている。
「……お前、何でそんな自信たっぷりなんだよ。つかいざ出陣って何」
「もしかしたら、某の意味はあったかもしれませぬ」
「は?」
ガクの言葉の意味が理解出来ずに呆然としていると、腕をがっしり掴まれてぐいぐいと連れて行かれる。ガクらしくない行動に驚いて足を止めてしまうと、彼はこちらを振り向いて……いつものように淡々と、しかし珍しく『断言』した。
「某の能力、ここで使わずして何とする……でございます」




◆戦闘テストについて




戦闘テストは二人一組のチームで行われ、制限時間は十分間。チームはそれぞれバーチャル転送装置(トランスマシン)=VTMと呼ばれる特別製のカプセルに入り、ネット上に構築された特別ステージへ転送される。また、試合中戦闘とは無関係な他生徒は現在進行中の試合をデータ画面より観戦することが出来る。
ちなみに、戦闘の結果を予想する学園公式の賭けごと『白黒』が開催されている。ここでは主に『白』は女子、『黒』は男子を示す言葉である。









転送完了しました、という電子的音声が耳に届く。ほんの数秒だけ失っていた意識が復活し、俺はゆっくりと目を開ける。
この空間に来るのは久しぶりだ。
どこもかしこも真っ暗だが、時々キラキラと七色の星みたいなものが瞬く(ちなみにこれの正体はデータの欠片だ)。戦闘までのフィールド処理時間中、戦闘参加生徒はここで待機することになる。
――ていうか、ガクはちゃんと着いてるんだろうな。アイツ、自信たっぷりだったけど……何か得策でもあるんだろうか。
唐突に、真っ暗な空間が光を放つ。反射的に目を閉じ再び開くと、そこには女の顔が大きく映し出されていた。途端に気分が悪くなってめまいがする。――いくら画面だからって、女は女なんだよなぁ……。
実況者に選抜されたらしい桃髪の女は、超絶笑顔で楽しそうに叫び出した。
『皆様お待たせ致しました! ヴァージョンルームナンバー3・第一回一年生戦闘テストを開催致します!』
うおおおおお、という無駄に騒がしい歓声が空間に放たれる。空間自体がスピーカーになっているのだ。だが、この声はリアルからデータへ変換され俺の元へ届いている。その為か多少音質は劣化するらしく、嫌なノイズが紛れ込み騒ぐ声が余計にうるさく感じてしまうのだ。
『まず白の生徒が入場です。一年A組――彩本愛さん!』
主に女子の歓声が増幅する。空間に憎たらしいあの女の姿がでかでかと映し出され、俺は慌てて目を逸らす。だからやめろって。余談だが、目を閉じたところで強制的に瞼裏へデータが送信されてしまうので意味がない。これだからデータ化は嫌なんだ。
刹那、黒く塗られた空間に不釣り合いな人工的円形フィールドが映し出される。あれが戦闘フィールドだ。すると、鉄琴で奏でられた綺麗な効果音と共に画面内へ元委員長が具現化される。
『彼女の持つ武器は<バッファウィップ>。その名の通り鞭型の武器です。見るからに強そうですよね~。しかし、この武器の真価は敵の攻撃を防ぐことによって発揮されます。レア武器と呼ばれる<バッファタイプ>は防御型に分類されるので、相手の攻撃を簡単に受け流すことが出来るのです!』
実況女がハイテンションで解説を喋り続けている中、対戦相手は構成された自らの武器をぶんぶんと振り回して感覚を掴んでいるようだった。オイ、それって卑怯じゃないか?
『お次に愛さんのサポーター、AIあやめさんです!』
瞬時に、女の隣にまた女が増える。もう嫌だ。
『彼女の能力は<増幅>です。データの容量を自爆しない程度に増量させ、武器の力をアップさせます。一般的ではありますが、扱いが難しい能力としても有名です』
増量だと……。コイツ、俺の自爆ダメージを増やすつもりだな……!
コイツらは元々俺と真剣勝負をするつもりなんてないんだ。多分、観客達もそれを期待している。そんなの気に入らないけれど、この状況を打破するなんて出来っこない。
『えーと……次は黒ですね。ええと、あまか……天河龍助君です』
テンション下がった上に噛みやがった。それと俺の名字は『あまかわ』じゃなくて『あまのがわ』だ! これだから女は――愚痴を心の中で吐こうとしたその時、一瞬にして世界が暗転した。
周囲の景色が目まぐるしく変わる。ぐるぐるっと回って回って……うげえ、気持ち悪くなってきたぞ。やばい。
非常に長く感じた移動過程の後、俺はいつの間にか戦闘フィールドにたたずんでいた。
『――と、皆さまもご存じの通り武器使用と同時にこの試合が終了してしまう可能性がございますので、発動は龍助君ご自身の意思で行って頂きます』
ぼうっとしていた所為で周りの音が全く耳に入ってこなかった。何か説明してたっぽいけど。しかしながら、転送時の感覚は全く慣れないし数週間のブランクもあるっていうのに、そんなんで戦闘テストっていうのもどうなんだろうなあ。
『最後に龍助君のサポーター、AIガクさんです』
右斜め後ろに光が現れ、無数の文字と共にガクの姿が構築される。どうしてそんなけろりとしていられるんだ。何故気持ち悪くならない。
『彼の能力は<制御>です。……詳しい能力内容は不明ですが、おそらくデータを抑える、つまり武器などの威力を下げてしまうものかと思われます。またこの能力は敵味方関係なく発動されてしまうものです』
制御、か。全く聞いたことがない。やっぱりレア能力なんだろうか。
緊張が募り始める中、俺の耳にぴろろんという軽快で場違いな効果音が届く。驚いて数歩のけ反るが、どうやら俺にしか聞こえていないらしい。はて、と思い首を傾げていると目の前にウインドウが現れる。
確かこれはメール画面だった気がするのだが……ということはメッセージを受け取ったのか。だがもうすぐ試合なのに一体誰が。
すると、風を切るような音と共に受信メール詳細情報が表示される。
<Name : Gack / subject : no title / genre : secret mail>
ガクからの秘密メール?
ちらりと彼の方向を見るが、目線は合わない。ガクは自然な様子でじいと前を見ている。あいつの目前にもメールウインドウがあるのかもしれない。
とりあえず読まないことには始まらない。素早く<Read>のボタンを指でクリックすると、そこにはたった一行の短い文が記されていた。
『それがjしが歌い終わるまでr逃げて下しい。ブレードの発動はそれからdsj』
……ガク、絶対タイピング苦手だな……。まあ、内容は分かるけど。秘密メールの欠点はタイピングか(普通メールの場合は音声文字変換機能が使える)。
メールを改めて読み直す。おそらくは、『某が歌い終わるまで逃げて下さい。ブレードの発動はそれからです』だと思われるが、歌うというのは一体何のことだろう。
「まあとりあえず……」
実況女の試合説明やら解説やら色々が終了したのか、辺りは急に静かになった。するとメールウインドウは強制的に閉じられ、試合開始までの数秒を示すシンプルなタイマーが表示される。
「武器なしで、逃げ続ければいいワケだ」
そして、短い電子音。
タイマーが0になった。
――試合、開始。
「はっ!」
短い掛け声が聞こえたかと思うと、高速ダッシュしてきた敵に一瞬で間合いを詰められる。試合前は50mほどあった両者の間は今や10m以下だ。その後ろには文字列のわっかを構成する女AIの姿があった。
つかヤバイ近いこっち来るなさっさと離れろむしろ帰れ。とりあえず半径5m、半径5mまでは許してやるが帰れ。その後は帰れ。
今すぐこの状況から離脱することを考えたのだが断念する。今までは距離が5mを切った時点で武器を発動させる、つまり自爆行為をしていたが――今日はそういうワケにはいかないのだ。
「面倒だな、全く!」
俺は素早くバックステップを踏み、敵と距離を取る。その距離、約20m。
相手の放つ鞭……えっと、なんたらウィップ。あれの射程距離はせいぜい10mだろう。女の動きがそれを表していた。防御重視とか言っていたが、おそらくAIの能力を利用してギリギリまで武器の全体能力を上昇させて先手必勝戦法を使用していたんだろう。
どうやら女も観客も俺が自爆すると予想したらしい。彼女は表情を少し険しいものに変え、続けて観客らのどよめきに空間が包まれる。
「あれ、珍しいね。もしかして改心したの?」
その声には戸惑いが見え隠れしていた。つまり、俺は一発で仕留められる敵だとナメられていたワケだ。……イラっときたぜ。軽く挑発してやるか。
「黙れ女。貴様のチンケな攻撃なんて俺の敵じゃない。しばらく武器なしで相手してやるよ、この鞭女が」
「……アンタ、それ本気で言ってるの?」
「あ?」
「あたしの攻撃を『チンケ』って言ったの、本気なワケ?」
おっと、警戒せずにあっさり噛みついてきやがった。だいたい予想は付いていたが……まあいいか、元々俺が仕掛けた挑発なんだし。俺が処理するのが当たり前だな。
「ああ、そうだ」
「……その言葉口にしたこと、後悔させてやるわ」
その一言を最後に、彼女を纏うオーラが変化する。色で表すならば、水色が真っ黒に染まったという感じ。
試合開始一分でこんなんである。女って怖いな。つか、この世界の女は皆こんなもんなのか? まともな奴はいないのか。
ふと思い出して後ろを見れば、ガクが目を閉じて立っていた。口元が震えていることから高速で何かコードを言っているようだったが……アイツのことはアイツに任せて、俺は俺のやるべきことを精一杯頑張ればそれでいいんだ。
「では、行きます」
女はふっと短く息を吐き、身を低くして構えを取る。まるで今にも走り出しそうなその体制から、次の行動は予想がついた。
が。
女は走らなかった。ただその場で、手に持っていた鞭を勢いよく振り回しただけだ。20mの距離があるのにアイツは何をやってるんだ、届くワケがない。
あ、死亡フラグ。
「うわ!?」
ぎゅるるんとカーブした鞭の先は俺目がけて思いっきり飛んでくる。まさか、あのAIの能力は元々あるものまで変化させちゃったり出来るのか? 例えば――そう、射程距離を二倍にするとか。
バックステップじゃ避けようがない。俺は考えに考え抜いた挙句、敵に背を向け思い切りフィールド上を駆け抜ける。徐々に後ろに迫ってくるものの威圧感に耐えつつも、ひたすら走る、走る。
「アンタ何してんの? この鞭から逃げ切れると思ったら大間違いよ」
20m離れればどうにかなると思ったがそうではないらしい。どうやらAIの能力は一定ではなく時間経過によって増幅するみたいだ。つまり逃げ続けてもいつかはあの鞭にやられてジ・エンドだ。
さて次はどうするか。必死に走りながら考える。ちなみにこの間一分。試合終了までのタイマーは<07:45>。というか、何故か歓声が上がっているのはどういうワケだ。
『何だよアイツ……あんなにすげえ奴だったのかよ』
は? 俺何か凄いことしたか?
『嘘でしょ、委員長の鞭はあっという間に敵を仕留めることで有名だったのに!』
え、こんな鞭に皆仕留められちゃうワケ? しかもあっという間に?
『武器発動しないであんだけ強いってことは、もし武器使えたら相当ヤバイんじゃないの、彼!』
何故か盛り上がっている。理由が分からん。
にしてもそろそろ限界である。……とりあえず考えに考え抜いた決断を行動に移そうと思います、ハイ。
俺は一際早くフィールドを縦横無尽に走り抜けて、そしてジャンプした。走り高跳びと同じ要領で。
……5m跳べたがどうかってところだが、構わない。鞭を操る場合、おそらく横より縦へ振り回す方がやり難い。長さがあるためどうしても振り回す速度が低下するのだ。そのおかげで、軌道がはっきりと見える。俺は落下しつつ体制を傾け鞭紐が届くであろう場所から出来るだけ遠ざかる。地面に着地した瞬間身体を低くし素早く移動、再び跳躍を何度か繰り返す。
過程の内で自然に距離を取っていける、最善の策だ。ただしこの試合を長期戦にするワケにはいかないので限界がある。
だが同時に、男女の体力には差がある。いくらデータといえども見事なバーチャル技術のせいで疲労感は見事に反映される。データから実体に戻った時にはその感覚は消えているらしいが。
狙い通りというか。女はぜーはーいいながらこちらを睨みつけている。……残り五分。
「ちょ……アンタそんな体力どっから出てくるの! 薬か何かキメてるんだとしたら校則違反よ……」
「……失礼な」
勝手に決め付けるな。というか何故そんなに驚いている。これくらい普通だと思うのは俺だけなのか?
「でも、敵のスタミナ削ったところで意味ないわよ。ダメージを与えない限り、あたしに勝つことは出来ない。――いいわ、そろそろ終わらせてあげる。意地でも武器発動させてやるわ」
正論だ。だが俺はこの後どうすればいいか分からない。ただ時間を稼ぐ。それが俺の使命であって……全てはガクに懸かっているようなものだし。完全に他力本願だが仕方ないな、うん。
女は右手の鞭をぎゅうと強く握る。――彼女の周りを包んでいた何かが変わる。何と言えばいいのか、オーラみたいなものだ。コイツ、本気で俺を『殺り』に来るつもりだ。
けれど、距離は最低でも50mはあるはず。多分届かない……と一瞬油断するが、うっかりあやめのことを忘れていた。試合時間は六分を過ぎようとしている。一体彼女の能力は何倍にまで増幅されたのだろう。50mなんて簡単に届いてしまうのでは?
「まずっ!」
敵に背中向けるなとかいう基本なんて知ったことじゃない。ぐるりと後ろを向くと、俺は全力で疾走する。
このデータ世界で『死』なんてものはありえない。しかし五感は存在する。それぞれのフィールド設定状況によっても変わるらしいが、悪質なアクションゲームでは痛みの抑制機能が最低限まで下げられ、リアルなら致死するであろう苦痛を与えられても死ねないなんていうこともあったりするらしい。
そこまでということはないだろうが、やはり痛みはあるはずだ。しかも試合中はゲームオーバーなんてのはありえないし、その痛みが継続するんだろう。チキンのいうことだろうが何だろうが、そんなのは絶対に嫌だ。
「痛みを感じたくなければ――自爆しなさい!」
風を切る音。徐々に迫ってくるそれから必死に逃げる。というかもう六分近くも逃げ回っているのに、まだ逃げなきゃいけないのかよ!
と、視界の隅っこに小さいウインドウが出現する。メールウインドウ。送り主はもちろん、ガクである。試合中のせいだろう、自動的に<Read>ボタンがクリックされ本文内容が表示される。
<武器発動>
たった四文字。だが、それが示す意味はよく分かった。
それって、自爆しろってことか?
まさかあんな大見得きっといて、アイツ勝手に諦めたのか!? か、勘弁してくれよ。今まで必死に逃げ回った俺の努力は何だったんだ。
あ、なんか急にやる気なくなった。
気力が根こそぎ失われ、俺はその場に立ち止まってしまう。もうどうにでもなれ。自爆よりダメージ喰らう方がまだ得点失わなくて済むだろうよ。俺を倒せ―。痛みなんて一瞬だ―。大丈夫だー。いや大丈夫じゃないけど。
………………。あれ。
痛くない。というより衝撃すらない。
後ろを振り向く。そこには元委員長が変わらぬ姿で立っていた。――変わっていたのは、武器だった。
「な……なんじゃありゃ?」
鞭の紐が、短くなっている。しかもその先っぽは、まるで何かに引きちぎられたみたいにボロボロだ。はっとして地面を見れば、データの破片が散らばっていた。
「何よ……伸びなさい、トドメを差しなさい! 動けっ、動け!」
ぶんぶんと必死に鞭を振るが、反応はないようだった。
「あやめ!」
女は自分のパートナーの名を叫ぶ。返事はない。場は静まり返っている。女は俺に背を向けることなく周りを急いで見渡しているようだ。俺もそれに続いてみるが、あやめの姿は見当たらない。
「あやめ殿なら、おやすみになられましたよ」
後ろから声がした。
淡々としていて無駄に丁寧で無表情で、しかし高くとても綺麗で美しい声。
「――ガク」
俺は自分のパートナーの名を呼んで、その姿が見えるように身体を動かした。
いつもと同じ学ランを真面目に着こなして、しゃんと学生帽を被っているその姿はいつもと変わりないように思えたが、なかったものがそこにはあった。
赤と黒二色の、一般的な密閉型ヘッドフォン。
彼はヘッドバンドを首に掛けるとよい姿勢でこちらに歩いてきて、俺の隣で止まる。
「某の能力はその場で発動している武器・能力全てを弱体化させます。故に、あやめ殿は某の能力に負けてこの場を退場いたしました。よって減点扱い。既にあなた様のポイントはマイナスになっているはずです」
そして、あなた様の武器はデフォルトの威力に戻りました、とガクは付け加えた。女にとっては蛇足以外の何でもなかっただろう。
女は顔面蒼白になって、空間に表示されたウインドウへ駆け寄る。多分俺も女も試合自体に集中し過ぎていて、得点なんて全く気にしていなかった。同じくそれに続く。
黒のポイントはプラマイ0だ。これは納得いく結果である。まだワンダメージも喰らっていないことは確かだ。
だが――白のポイントは、
「マイナス……10000」
女が絶望的な数字を口にした。
ちなみに、俺が自爆した場合のポイントは12000だ。また一試合で相手に与えられるダメージの最大数は300程度。十九試合その最大数を叩きだしたとしても5700ポイント――逆転は不可能だ。ここで俺を倒さない限り。
そういえば試合中ギャラリーがあまり騒いでなかったのを思い出す。てっきり集中し過ぎて何も聞いてなかったのかと思ったが、もしやそれって、既に試合が決まっていたから……?
女はずっと黙ったままだ。ガクは少し躊躇いがちに、しかし残酷なことを言った。
「おそらく、これ以上の試合は意味がありません。降伏をお勧め致しますが」
「黙りなさいよ!」
拒絶の意思。
「あたしは……負けを認めるような人間じゃないのよ」
その声に、俺は恐怖を感じた。勝利への執着心が剥き出しになった言葉を放つ女は今、冷静な判断が不可能な状態になっている。
「<クラッシュドラゴン>を倒すには――まず、アンタからよ!」
その時俺は初めて気付いた。俺達と女の間隔が縮まっている。先程ウインドウに近寄った際、折角離した距離を無駄にしてしまっていたのだ。
そして、この距離は女の攻撃が確実に届いてしまう射程範囲内。
女は言った。俺を倒すにはまずアンタから。アンタと表した者の正体くらい、俺にだって分かる。
俺の隣目がけて飛んでくる、真っ黒な紐が見えた。
――ガク!




咄嗟に取った行動。
ガクを無理矢理抱き寄せて半回転。なんとか間に合ったらしい。よかった。
それにしても、予想以上の衝撃だった。軽く20mは吹っ飛ばされただろう。攻撃がヒットした背中が疼く。ここまでの威力とは思わなかった。
いつからだろう、ガクが腕の中で騒いでいる。コイツもこんなに声を荒げるんだな。でも、無事でよかった。
横倒しになった視界に見えるポイント。黒・マイナス700。白・マイナス9300。700なんて数値普通は有り得ないが、今回は別だ。俺がわざと攻撃へ当たりにいったのだから。
身体が動かない。
掠れた視界。俺を必死に揺すっているガク。少し遠くで立ち止まったままこちらを見ている女。
「……何でよ」
やっと絞り出したみたいな声。
「何でそんなの守るの」
疑問。しかし答えられない。
さっきも述べた通り、普通の戦闘ではダメージポイントの300が限度なのだ。いや、正しくは300以上のダメージを相手に与えてはならないというべきか。これはあくまで暗黙の了解だが。
痛覚データ抑制が不可能になるダメージ範囲があるらしい。てっきりただの噂だと思って信じてはいなかったのだが……おそらく、この300というのがボーダーなのだろう。
それを、俺が身を呈して証明してしまったワケだ。
動けない俺を必死に、どうにかして起こそうとしていたガクは、唐突にこんなことを言った。
「……某はあなた様を守るべき存在ですよ、Master」
……マスターって呼ぶなっつの。
「そんな某が、あなた様に守られてどうするんです」
不完全な視野から、どうにかガクの表情を確認する。いつもの顔だった。でも、どことなく悲しそうだった。
守るって、身代わりになるとかそういうことなのだろうか。犠牲を払って他人を守ることが『守る』なんだろうか。
違う。
「俺は今この時にも、お前に守られてるよ」
息を吐くように俺は言った。あまりに小さくか細い声だったから聞こえなかったかもしれないけど。
「……龍助殿?」
――これ以上の戦闘は必要ないな。それに、ここで俺が自爆したとしても逆転は十分可能だ。
今度はしっかり聞こえるように、俺は力を振り絞って声を発する。
「ガク」
「はい」
「ありがとな」
俺を勝たせようとしてくれて。
石のように重い右手を開き、出来るだけ前に伸ばす。俺は自らが持つ武器に<命令>を送る。それは一種の呪文。
「<データブレード>……ムーヴメント!」
空間が明滅する。暗闇に浮遊していたデータの欠片が右手目がけて飛来し一つとなって収束する。その活動は止まることなく続く。無限に繰り返される。
この過程の内で、フィールドは容量不足となりクラッシュを起こす。
音すらも吸い込んで、俺は自爆への道を物凄い速さで突き進んでいく。発光は増大していき、俺は満身創痍の身体に命令を下し左手で頭のゴーグルを押し下げた。
その時、呆れかえったような乾いた声が俺の耳に届く。
「……龍助殿はこういう、『ドラマ』なる展開がお好きなんですか?」
ガク!?
「某は、龍助殿の武器が所持するデータ吸引の影響を『打ち消し効果』によって受けませんので、音は吸い込まれませんよ」
打ち消し効果? な、何じゃそりゃあと質問する間もなく、ガクは一言不可解なる言葉を残した。
「それじゃあ、『後』は頼みます」
ガクは首に掛かっていたヘッドホンを付け直す。そして、口を開いた。
言葉は漏れなかった。
代わりに、彼からは高低を伴った謳が流れた。呼吸するかのような自然な動作で、ガクは謳を紡ぐ。どこの国の言葉なのか、聞いたこともない単語に彩られた歌詞が次々に通り過ぎていく。
その光景は酷く美しく、酷く神秘的だった。まるでこの世のものとは思えない、そう。例えるならば、神か天使か。彼の周りにはデータの破片が集まり宝石みたいにキラキラと七色に輝いていた。
漆黒の衣を身に纏った少年はひたすら謳い続ける。
――これが、ガクの<能力>……<データセイバー>なのか。
「――――――」
女が何かを叫んでいた。しかし何も聞こえない。その形相は必死で今にも泣いてしまいそうだった。いつも強気な彼女がこんな表情をするとは驚きだ。
気付いた。画面の端っこで実況をする女も何かを叫んでいる。驚愕と好奇心が入り混じった表情。
ガクの能力発動のせいかと思ったが、それにしては大袈裟だ。AIに能力が備わっているのは普通のことだし。
何かが起こっている。そう、今までありえなかった、前代未聞の何かが――
残った力を振り絞って、身体を持ち上げ地面に膝をつく。
残りタイマーは一分を切った。
「一体何が起こって」
右手に重みを感じた。
夢かと思って、『それ』を見る。
ファンタジー小説とかに出てくる剣とは、全くの別物だった。そういうのと同じように柄なるものは存在しているのだが――そこから伸びる刃は、比べて頼りなく細く、とてもしなやかで美しかった。
視界の端に再びウインドウが現れ、瞬時に本文が表示された。
<それは 日本刀 侍の魂>
――日本刀。侍の、魂。
その言葉が意味する真の意思は読めなかったが……ガクにとって、それはとても大切なものなんだと思った。
なんせ、侍の魂とまで言うんだから。
ボロボロの身を起こし立ち上がり、構え方も分からないようなその武器を右手にしっかと握り、しかし一歩踏み出せば倒れてしまいそうだったので――勢いよく、右斜めに斬り払った。
青色の細い筋が放たれ、女の元へ尋常でない速さで飛んでいくのが、俺には確かに『見えた』。




瞬間、女の武器が綺麗に弾け飛んだ。




その欠片は、俺の武器へ吸い込まれていった。




沈黙の後、スピーカーをはち切らんばかりの歓声が沸き起こった。主に男子である。
『なんということでしょう! <クラッシュドラゴン>こと天河龍助君が、初勝利を収めました!』
画面へ向く。敗因<武器破損>と赤文字が表示され、白組からペナルティポイントがマイナスされた。
白・マイナス20000ポイント。
「予想していた通りで安心致しました」
首にヘッドフォンを掛けたガクが俺の隣へ歩み出る。
「某の能力はデータ抑制です。故に、それはもしかしたら無駄に増えてしまっていたデータを抑えることも出来るかもしれないと考えた結果でございます――」
歓声が空間を包み、ガクの声が聞こえなくなる。
その先で、俺は女の――元委員長の姿を見た。
うな垂れた彼女を、誰一人相手にしていないようだった。皆が、まるで彼女を見ていないかのような、最初からいなかったかのような反応をしていた。
俺には分かった。俺も、ずっとそうだったから。
歓声が俺を包む。皆、俺に近づいていく。絶望が女を包む。皆、女から離れていく。
人はその時その時によって態度をガラリと変えて自分に都合の良いようにする。そうやって生きている。皆そうだ。俺だってそうかもしれない。でも、だからといって、彼女がああなる意味なんてないじゃないか。
俺がいつものように自爆していれば、彼女はああなっていなかったかもしれない。
――いいことを教えてあげるわ。勝利の裏には敗北者が必ず存在するの。
視界がチカチカと明滅する。
――敗北がなければ勝利はないの。称えられるべきはむしろ敗北者なのよ。
ぐるぐる、ぐるぐると。どこかで聞いた言葉。誰かに聞いた言葉。俺の中で回る。
「龍助殿!?」
気が付いた時、俺は地面にへばり付いていた。
――勝利者は幸せを奪い去る残酷な者なの。だから龍助は良い子よ。負けたからって、泣いちゃいけないわ。それは自分の幸せを誰かに分けてあげたってことなの。だから大丈夫よ。
……誰だ、お前。




ガクの無機質な声が果てしなく遠くから聞こえた。
刹那、意識がブラックアウトした。


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